2012年 12月 31日


1.従業員が業務を通して遣り甲斐と己の成長を感じられる経営
1.目先の利益に捉われない常に将来を見据えた経営
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■プロモーション支援 私達はコンサルティング先行型マーケティング会社です。企画・発想力に自信あり。新しい斬新な発想、社内でアイディアな煮詰まったとき、誰かプロの意見が聞きたいとき・・・・そんなときに力になります! ・ブランド戦略 ・企業戦略立案 ・イベント企画立案・運営 ・SPツール各種制作 ・WEB/システム構築 ・各種事務局の代行 ■人材育成 私達は人材育成会社です。 社内外の各種の教育プログラムの開発、セミナーコンテンツ(運営含)からお任せください。 また人材派遣派遣免許も取得しています。*(特)13-308103 ■国際関係 私達は小さな国際企業です。 ・翻訳/通訳関連業務 ・海外企業リサーチ ・海外企業日本事務局代行 ・海外企業の各種プロモーション支援 ・各種海外折衝代行 以前の記事
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2012年 05月 23日
ここでジェンダー論を展開するつもりはないのですが、「男気がある」というのは、どこか武士道のような感覚で私の場合は頭の片隅にあるちょっとした哲学です。最近はユニセックス化が進み、気持ちの上でも行動においてもある種の男女の同化が進んでいます。そのこと自体の判断はさておき、このユニセックス化の中、世の中の男性の精神的な価値観がとてもナルシスズムに向かっているような気がします。自分が好き。自身の意識の有無は関係なく人の目を気にし、そして褒められることは大好きながら、叱られたり怒られたりすることに対する気概や悔しさを持たずに、いじけたり、単純に面白くない。いつも褒められ、おだてられ、一目おかれるような立場にまんざらでもなく、しかしあくまでも自分にとって心地よいことのみしか受け入れられない。付き合う人間も価値観が同じで一緒にいて苦にならないコミュニティ内ばかりなので、ダイバーシティに対応できない。一般的に、私がいうと世代間格差の「オヤジの小言」のようになってしまうことを自覚しつつ、最近の学生や若者に関しては、世間で言われているようにやはりそこは同意せざるを得ません。また、ちょっと視点はずれますが、今朝も日傘を差して歩く若いサラリーマンを見掛けました、、、(それぞれの価値観で人に迷惑をかけるものではありませんが) おおよそにおいて、どうも男気がなく覇気がないのです。真実と向きあい、自分自身との葛藤やせめぎ合いの中で時に自分も相手にも心の痛みを生むことはあっても、実直かつ正直な言動が、むしろ人間関係やコミュニケーションとしては仁義として理解されます。 この一瞬の苦しみから逃げて、正々堂々とした潔さがなく、結果として相手を陥れて自分の意向を達成するようなことを厭わないケースも珍しくありません。日本人が世界に誇る美徳も随分変容したものです。これが最近は個人的ことだけではなく企業などでも垣間見ることがあります。所詮、組織や企業は人が組成するものですから、人間の資質がそうであれば企業がそうなっても不思議なことではありませんが、残念な傾向です。究極のナルシスズムです。自分の正当化、自分は傷つきたくないという末の潔さのなさ。しかし、自分はもちろん、相手にも深い傷を負わせる結果となる。いや、それならまだマシで、相手に傷は負わせても自分自身は結果オーライで全く痛みを感じないという最悪のパターンも少なくないようであることは本当に憂うべきものです。 夫婦関係、友人、同僚、先輩後輩、親戚、、、あるいは企業間。世の中には色々な関係がありますが、時に自分の選択に関して、周囲へのコンセンサスやコンテクストに反して行動しなければならないことが、人生には多々あります。その時、どのようなベストな解決策を選択できるか。どのような方法論でその道を選択するか。人間の器量と、大きくは人格を問われるのだと思います。 様々な経緯の中で「いざ」という時が誰しにも何度か訪れます。その「いざ」という時に、人柄やその人や企業の本質というものがよくわかります。口では立派なことを言っているとか、あるいはいつも耳に優しいことを言っていながら、いざという時に「!?」という、言わば「人生ゲームをやるとその人が分かる」ということにも似ています。ある人が何がしかの権益を持っているときはすり寄り、そしてその権益を失うと水が引くように他人行儀になる、等々も1つの例です。 裏表のない、まっすぐに生きることは正直難しくそして辛いことも多い。しかし、人生という長居時間軸の中でそういう生き方から得る人間同士のつながりや信頼関係は得難い宝であり、そして自分自身が積み重ねる仁徳と、そして自分ブランド。 こういうものを大切に出来る人間、その真実を見極められる人間こそコミュニケーションやネットワークを組成する素養として増えていくこと望むばかり。難しいことではありつつも、私自身はそうした心意気は忘れずに、自分の持つ1つの哲学としてブレずに貫徹したいと思っています。「ブレないこと」は何も政治家にだけ問われることではなく、私たち自身もブレることなく自分自身の言動を一貫性あるものとし、そして人に信頼され長い関係を気づく力を持ちたいものです。そういう意味で、私は世界が一目置く日本人の倫理観や自分自身にも正直ながら、本質的な人との関係を大切にする、そんな人間でありたいと思うばかりです。 そもそも「仕打ち」というのはネガティブなニュアンスがありますが、まさに「仕打ち」は自分にとっての身近な人達に対してしたくないですし、それに逆に受けたくないものです。だからこそ、自分に正直であると同時に周囲に対しても正直である力が問われます。「力」とは、「強さ」とは、そういうものだと思います。
2012年 05月 18日
![]() 先日、経営大学院での「アントレプレナーシップ論」の講義へのお誘いを受け、90分程話す機会がありました。生徒さんはビジネスの最前線で活躍されている百戦錬磨の生徒さんばかりながら、今回のこの講義の視点を私自身に向けて言うと、非常によい経験となりました。私にとって講演等々の経験は多いのですが、この講義はアントレプレナーシップということで、私自身と私の経験そのものを語る内容です。いつもの客観的かつ時に主観的な持論を交えた戦略論やマーケティング論と異なり、講演という形態でこそあれ私にとっては初めての経験だったと言って過言ではありません。 このテーマをご担当の教授にいただいてあまり時間がなかったのですが、起業以来自分自身を冷静に、客観的に顧みる機会もないままに突っ走ってきた中で、人前で話すに当たってその講義の準備は自分自身を整理する時間であり、今に至る工程を自分なりの分析をする時間となったわけです。 そんな中で思ったことが冒頭のことです。以前、ある一橋大のイノベーションセミナーでも同じように思ったことなのですが、ベンチャーだからこそ、あるいは大企業ではないからこそフレキシブルな対応やチャンレンジが可能だったマインドが、成長の1つの糧であったことは間違いなさそうです。まだ10周年にも満たない若い会社で、紆余曲折や様々な試練障壁もありながら、ここまで成長をしてきた背景には、私はやはり内的モチベーションによるものが大きかったと考えています。同時に、油断することなく、この内的モチベーションとなるべく要因を創造し続け、そして社内に流布していくのが私の仕事であり、そして経営をする人間として「そんな無茶な」と思えるほどの「夢」を語ることが「仕事」であることを改めて思いました。乱暴かつ、誤解を恐れずに言えば、現場の社員が夢想家では企業はたちゆかないものの、社長は夢想家であるべき、とも言えるのかもしれません。その無謀な(?)夢が、内的なモチベーションとなり、そして社員との夢の共有に発展し、そして金的な報酬とは異なる働くことの別のベネフィットとなることが、おそらく組織強化と企業成長の望ましい姿です。 それは、きっと大企業より我々の方が環境的に数段も有利であることを感じます。誰にとってもそうですが、「夢は逃げない」のです。夢や目標は定めた以上はいつまでも「そこ」にある。そこから逃げるのは簡単であり、そして逃げるのは夢ではなく自分自身。そして同時に、大人になるとか成長することで現実を目の当たりにし夢を忘れがちになりますが、それは、夢を忘れるのではなく、夢の遠さを知ることなのです。そしてそこで「逃げる」のかどうか、、、自分自身に内在する弱さといつも対峙するのが、アントレプレナーシップなのかもしれません。
2012年 05月 11日
新卒採用をした新入社員の研修が終わり、一部の会社では新人達に「営業経験」ということで飛び込み営業をさせているようです。弊社も、そうした「飛び込み」の対象となり今週も何件かそうした来客が複数あったようです。ヒトを育てることも社業としている弊社にとってもそうですし、社会にとっての人材育成の観点で企業もこうした人材の成長を見守るべく、かつそれぞれの企業でもお互い様ということで大きな心で対応することも大切だとは思います。 しかしながら、実際には非常に厳しい環境の中でそれぞれが忙しく働いている中で、アポイントもなしに訪れる来客に、他社の新人教育のために自分のスケジュール変更をしてまで対応するには限度があります。勿論、応接に通してまでの接客はこの場合しませんが、それでも社会全般での一通りの「大人の対応」をすると、その受け答えだけでもそこそこ時間をとられます。邪険にすることもしないわけです。(「それはそれで社会の厳しさだ」というのが研修させている会社の意向かもしれませんが) こと、今回は某大手生命保険会社さんの「研修中」という大きな札をつけた新人さんが来社されたと聞いた時には閉口しました。実際、ほとんどの場合はこうした来客の対応は受付に出た社員の段階までで私がお会いすることはごく稀なのですが、それにしても自社教育の実施にあたり、「研修中」の札をつけている来客に対してどうしろというのでしょうか。研修中の社員なのだから、邪険にせずに温かく迎えて応対してほしい、あるいは勉強を兼ねてなんらかの収穫ある対応をしてくれ、ということなのでしょうか。仮に真面目に契約を前提に「では商品の説明を」とお願いしたところで、おそらく彼らは逆に困ってしまうことでしょう。この生命保険会社の社長なり人事部長は、訪問先となる企業に本来何らかの形で挨拶くらいするのは最低のビジネスマナーでしょう。「弊社の新人が営業と称して御社を訪れることもあると思いますが、営業の実地を経験するという研修も兼ねており、ご迷惑をおかけしますがご対応お願いいたします」といったような。 保険会社や証券会社、銀行というのは、往々にしてこうした他社の好意を前提とした甘えた営業研修を毎年行います。この慇懃無礼な研修に私は大きな違和感を覚えます。私であれば、あるいは弊社の場合は、新人の営業に関しては「営業に行った段階で先方にとって君はプロだ。ただ正直プロというにはまだまだ程遠いのが現実。しかし、今の君の持つ知識と考えうる最適な営業手法やコミュニケーションを最大限に駆使して一生懸命営業しなさい」というスタンス。そうはいっても先方には「ああ、この人は新人さんだな」というのは明確なわけですが。 逆に、丸の内あたりの大きな本社ビルを構えた生保や証券会社の総合受付に弊社の新人営業マンが研修を兼ねて伺った際に、その会社は逆にどういう対応をしてくれるのでしょう。おそらく上の階で忙しく働いている一般社員の時間や手を煩わせることなく、丁重に受付の段階で断られるのでしょうね。 ハイ・コンテクストすぎるのです。ハイ・コンテクストに頼りすぎるのです。まさに、ザ・ジャパニーズ企業という感じがします。言わなくてもわかってくれるでしょう、社会は・・・といったその甘え。ビジネスにはやはり倫理やルールというものがあります。礼儀や礼節も必要だし、そうしたこと自体も新人に会得させるべきでしょう。こんな独りよがりで身勝手な研修は、おそらく何のメリットもありません。新人に度胸を付けさせるだけの研修であれば、他社の時間や手間を断りもなく奪って成立させるのではなく、何かしかの研修プログラムの中で実施すべきです。「即戦力!即戦力!」と言って採用をして、一流と言われる大企業の狭き門をくぐって採用した人材も、結局はこの手の研修が必要なのだとしたら、それはそれでギャップを感じるのは私だけでしょうか。 以前、知人の女性社長さんが今年採用した新入社員2名を自ら連れて各企業を回っているとのことで、弊社に「研修を兼ねて」というエクスキューズの上で訪問されたことがありました。理想的だと思います。せめてきちんとした形でのアポイントと、そして先輩社員同行などをするのは1つのよい手法でしょう。
2012年 05月 09日
昨年度より開始したルーマニアの国際交流プログラムですが、今回は企業による研修の一環というより個人参加の意味合いの中でお二人が参画されました。ルーマニア屈指の名門校である国立バベシュ-ボルヤイ大学。私も時折教鞭をとることがある大学なのですが、今回はこちらで。お二人には、日本語学科で日本語を学ぶ生徒を相手に「福祉と街」「現代日本の女性」というテーマで講義を行っていただきました。この大学の生徒は、英語は完ぺきなネイティブレベル、他にフランス語、イタリア語、ドイツ語、スペイン語など最低でも4ヶ国語を操る俊才。日本語学科でもトップクラスの生徒になると日本の古典を原文で読みこなす程。そうした生徒たちを前に、上記のテーマで講義を行いつつ、お二人にとって異文化の中における自分自身の「殻」や「先入観」はもとより、コミュニケーションの原点を多々発見した有意義な日程となったようです。通常の大学内での講義に加え、ワークショップも踏まえた内容は、通常のアカデミックな言語教育の中にあって大学側にも生徒たちにとっても刺激であったことと思います。 通常企業研修の一環として採用・検討されることの多いこの本プログラムですが、そもそも多様な参加者を想定している中で、個人ベースでのこうしたアットホームな中での自己研鑽の場としても活用されるべく今後積極的にプロモーションを展開していきたいと考えています。 大学内での講義は、日本語学科以外での講義をご希望の場合は英語となりますが、日本語学科に関しては日本語で行うことが可能です。グローバル人材の育成や、多様な環境におけるコミュニケーションの真髄を、大学の講義という場で体感するこのプログラム、ご興味ある方(個人・企業問わず)ぜひお問い合わせください。
2012年 04月 27日
先般、雪の降る上越山奥の温泉で実施された社員研修。グループに別れての3日間の研修と最終日の各グループ毎のプレゼンテーションの中で、見事「社長賞」に輝いたチーム全員に、先日ご自宅に魚沼産コシカリが届きました。勿論、社長賞ですから会社の経費での購入ではありません(笑)。いわゆる最優秀賞的な側面ながら、そういうところで軽いプレッシャーも。まさにこれは飴と鞭では?という声もありつつ、米の届く前から最高級米対応のおかずづくりに励んだりメニューを考える社員も多く、心ばかりの社長賞ではありますが好評だったようです。旅行券!とか宿泊券!といった類はよく聞きますが、金額の大小や話題性よりも、こういうちょっとしたウィットって大切だと思うのです。遊び心というか。それがわかるのは、きっとウチの社員の感性なんだろうなあ、と個人的に嬉しく思いました。毎年恒例の研修旅行ですが、総じて毎回充実した時間と共に、研修から戻った後に感覚的な変化があるような気がしています。毎年更新する社員自身の内発性に任せて設定される1年限定社内限定の「スローガン」や、自分自身や仲間をさらに深く知る施策、そして複数同時に与えられる課題から、いくつか絞り込む作業、そしてその絞り込んだ案件も複数あるのでそれらを限られた時間内の同時平行で遂行する、、、結局夜中や、チームによっては徹夜になるとか、あるいは温泉の中等々、、毎年さまざまなドラマが生まれます。 社内用のプログラムではあるものの、少し整理をすることで外販用のパッケージとして人事向け製品としても販売できるのではないか、という意見も、然る方から先日もいただきました。 話は変わりますが、この流れでこのゴールデンウィークにもライクアートの子会社であるライクアートリソーセスの自慢の海外研修・人材開発メニューに2名の方が参加されます。概要として、その場所はルーマニア国立バベシュ・ボルヤイ大学という名門校で「教鞭をとる」というものです。私も、渡航前の段階から講義内容のチューニングのお手伝いをしてきましたが、いよいよ渡航は目前。私もこのゴールデンウィークはルーマニアに向かいます。このことについては、また次回更新の際にでも書きたいと思います。
2012年 04月 21日
今の社会は往々にして「やりきる」ということが非常に少ないように感じるのは私だけでしょうか。さまざまな選択肢やツールがある中で、仕事にしても、あるいは遊びにしてもどこか中途半端。ネットの利点は、これまで繋がりを持ちにくかった距離的心理的な人間同士の距離を縮めたことである一方で、より自分の価値観や志向に合致した人間同士が固まる傾向がある種の弊害があるようにも思います。ある会社の人事部長をしている知人が言っていたこと。「最近の新入社員は、好きな人、気の合う人とばかりと付き合う傾向があり会社組織の中のさまざまな世代や価値観のダイバーシティに対応できない気がする」と。 つまり、会社の中にはいろいろな人がおり、当然厳しい先輩や上司がいたり、あるいはプロジェクトで全く価値観の違う人とチームを組まなければならなかったりということは、本来ごく普通のこと。ただこうしたことに対する耐性がない、ということなのです。 「気の合う者同士」、つまり学生サークル的なものの延長戦なのでしょうか。サークルとはいえ本来は様々な価値観が、その中にでもあるはずなのですが。 だからこそ、冒頭の「やりきる」という行動がなかなか根付かない。何かをやりきることは苦しいことと厳しいことをくぐりぬけてこそできるもの。しかし、それが人間関係の中でも「仲良しグループ」のみでの居心地のよさばかりを追う中で、仕事上でもちょっとした障害があると「やり切る」「やり遂げる」ことなく、仕事から逃げ、途中から自分自身のイニシアチブをとれなくなり、結局誰かの手を借りることになる。つまり中途半端。問題はこうしたことでもある中で、この状況と自分の立ち居振る舞いの中途半端さを認識していない人間が多いことも大きな問題と思います。 「覚悟」とか「決意」あるいは「悔しい」という気持ちや、自分自身の成長のために障壁を乗り越えようというガッツ、あるいはいい意味でのプライド。こうしたものは、今、消えようとしているのであれば、これはこれでまた日本の未来に少々憂いを感じないでもありません。
2012年 04月 19日
人間は生きている以上、何かを感じ、そして無意識な考えや決意があるものだと思います。そんな中で私がある種潜在的に一種の反発を感じるのが、宗教勧誘と原発関連の活動家?というか、そうした動きです。
原発事故後の「真相」とか「実は・・・」的な情報は、様々な機関や組織は発表し、そしてその解釈や基準も様々なであり、あるいは人間や組織を背景にした思惑として操作される情報も少なくはないと思います。私も別に政府発表や、様々なところで言われる「公式見解」が正しいとは思ってはいませんが、自分が持ちえる情報と知識の中でどう動き生きていくか、ということだと思っています。誰だって、都会の排ガスの中で、あるいはタバコを間接吸引すること(非喫煙者の場合)、様々な加工食品を食べること、運動不足であること、等々健康不安を抱えています。勿論、できることなら原発事故などなければよかった。とはいえ、セシウムはおそらく地域による濃淡はあれ浮遊しており、私達はその中で生きることを余儀なくされているわけです。とはいえ、データ上の数値だけを示されて、本当はこんな数値が!外国機関の調べではこんなところからこんな数値が!的なリークのような情報を、あたかも全ての側面において正しく、そして健康被害があるかのように周囲に情報を拡散し不安を煽るものがあまりにも多すぎます。 私が言いたいのは、情報の正確さ云々といったことではありません。「皆、バカではない」ということを言いたいのです。様々な価値観と判断が、それぞれの人にある、ということです。今の現実に怯え、自分が考えうる万全の対策をする人もいていい。一方で、現実を受け入れる中でプライオリティを別なところに置く人間もいるという多様性を言いたいのです。例えば、被災地の親御さんでも子供のためを思う行動には様々な価値観があります。福島から出て西日本などへ移住をする人。地元で完全防備状態で子供を守ろうとする人。あるいは、あまり神経質になると子供が可哀そうなので自分で意識する限りの最低限の注意を払う、という人もいます。 私自身の見解は、数値というのはわかりやすいが、様々な見解と基準をどこにおくかでその数値の解釈も大きく変わる中で、まるで宗教のように「○○という機関が、大学が、著名な教授がこんなこと言ってます!メディアでは誰も書いてないけど!」といった一種の勧誘にも似た活動にうんざりしてるいるのです。決して無関心ということではなく、自分なりに情報を取捨選択し、人生における優先順位を相対的に考えて、今私達も生活をしているのです。 少しでも遠くへ、あるいは海外移住するとか、あるいは、こうした事故を起こしたことを日本人として、あるいは大人として子供や彼らの未来に対して責任を感じるのであれば、極論を言えば身を持ってその罪を償うということで、私達日本人は国の衰退を覚悟でこの汚染された国土での増殖をやめる。つまり子供を持たない、つくらない!ということでさえ、言ってもおかしくはない。 テレビのワイドショーや科学番組で、牛乳は実は健康に悪い、○○はガン予防になる、○○を食べるとどうのこうの、、といった内容は、飽きるほどやっています。おそらく何らかのそうした傾向や現実もないわけではないでしょうが、これら全ての情報を全て採用して生活している人が果たしているでしょうか。 世の中に様々な情報は溢れています。仮に、こうした原発やセシウム情報に敏感に反応し生活に反映させている人が長生きし、そして私のような人間が早くして死んだとしても、それは私としては日々を神経をすり減らして生きるのではなく往々と生きられた人生に感謝こそすれ後悔はありません。子供にしても、自分の価値観の中で防御こそすれ、例えば夏でも長袖とマスクをさせてなるべく外気に当てずに幼児期を過ごして成長させることに私個人の価値観では違和感を感じます。もっとも、原発近くの地域であれば、子供のために移住をすることは考えるでしょう。 少なくとも、、、無作為のメールやフェイスブックなどのSNSで、受け手がオープンなのをいいことに一方的に情報と価値観を送りつけるようなことはしてほしくないですね。同じ想いを1つにするコミュニティーのメールングリストやSNSならまだしも、これは一種暴力的面があると思うのです。なんだか思うに、この手の多くがちょっとした自分自身の想いや考えということを超えて、「断言」と「確信」の上での強制的な信仰と信念の押し売りのように感じるのです。「もっと考えよう」「もっと知るべき」という寸止めのような情報拡散で、具体的な解決策や、あるいは抗議運動のプロモーションのような動きに、ウンザリしている人も少なくないことを知ってほしいと思います。皆同じく、不安には思っていて、それをそれぞれの解釈と価値観の中で精いっぱい日常を生きているのだから。
2012年 04月 13日
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ちなみに、今回のグループワークの「社長賞」は、グループ全員に「最上級魚沼産こしひかり5Kg」。この水上の山向こうが魚沼であることにちなみました(笑)。
2012年 04月 07日
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